消費的バルーン思考

うぇぶろぐはじめました/作文が苦手

ブログはじめますのきっかけ

・無職期間でぐでーとなっていた時期に色んなブログをベッドの中でずーっと読んでいて、ブログは短文のコンテンツに比べて個人の考えを高い純度で読めて良いなあと思い、自分もネットに長文を垂れ流したいと思ってたんです。

 

・以前から書きたいことはそこそこあったんですが、タイムラインを汚したくないなと思って、長文や空気を乱しそうな発言はひかえてました。自分はめちゃくちゃ嫌なことがあってつぶやいたろと思っても、ツイートボタンを押す前にだいたい冷静になってやめてしまいます。それはネットの使い方としては正しいと思うんだけど、精神的には正しくない感じもします。また、良いことがあってつぶやくのもなんか嫌なのです。他人の幸せや不幸せが同じ場所にダーッと流されてくるのを見るのは疲れます。その点ブログは見る、見ないを選べてよいなと思います。あと、ブログの長文を読むのはあまり気にならないんだけど、ツイッターで長文が流れてくるとうげっとなってしまう。

 

・さっきゼルダをやっているときに、個人的にとても引きずっていて定期的に思い出してはうわーとなるやつが来てしまいゲームに身が入らなくなってしまったので、一度そのことについてちゃんと書き起こして整理しておきたいと思ったのです。そのことについては別の記事に書きたい。この時点でもうすでに大分冷静になってしまっているので書かないかもしれない。でも、定期的に来るやつなのでブログが続けばいずれ書きます。

この場所について

・書きたくなったら書きます。日記とか思っていることを書きます。自分語りです。作品の感想みたいなのは多分あんまり書かない。週一くらいで書けたらいいけど多分むり。おそらく長続きもしない。とりあえず外部に長文を置く場所があるという安心感を得たかった。

 

・ちゃんとした文章を書くのが苦手なので箇条書きを使ったけど、使わないで書けるようにはなりたい。

 

・『消費的バルーン思考』というのは新書のタイトルではなく、2021年7月10日の夢に出てきたワードです。*1つまり何の意味もありません。このブログをあらわしていますね。

余談

 私は学生時代から作文がとても苦手です。「○○と思います」を「○○だなあと思いました」にして文字数を稼ごうとするくらい苦手です。

 高校の時、課題の自由作文の中から担任が事前に選んだ数人に、黒板の前で発表させクラス投票で選ばれた1人が文化祭の弁論大会に代表として出るみたいなシステムがありました。自分は夏休み明けに熱で休んでいた上に作文が嫌で嫌でしょうがなかったのでその提出日は大幅に過ぎており、発表の前日に夜更かししてようやく完成させました。それでも職員室に行って担任に直接提出するのが嫌だった私は、発表が終わった後にしれっと渡してしまおうと考えていました。

 発表の時間、担任がニヤニヤしながら私をトップバッターに指名したので、私は狼狽しました。この教師は己が目を通していない文章をクラス全員の前で発表させようというのか?過激な政治思想とか放送禁止用語まみれの作文だったらどうするつもりだったんだ?と思いますが、私は震える足どりで教壇に立ち、震える声で、自分が昨夜書いた作文を朗読し始めました。冒頭はこうでした。「私は作文が苦手です。まず、何を書いていいのかがわかりません。」多分人生で一番震えた時間でした。私がヤケクソ深夜テンションで書き上げたのは、『作文が苦手という作文』でした。キショすぎます。

 その日のホームルームでも、私は狼狽しました。投票で決められたクラス代表として担任が私の名前を告げたからです。クラスの人たちはいやがらせで投票したとしか思えません。その後、美術部の展示が忙しいことを理由に代表を辞退し事なきを得ましたが、心の震えはしばらく治まることはありませんでした。

                                    おわり

 

 

 なんだかんだ自分が好きなので、自分語りは楽しいです。こういった話をツイッターでしようとすると言葉が足りなかったり、連なる長文でうるさいことになったりしがちなので、やはりブログは良いなあ~~~~~~~~~~と思いました。(文字数稼ぎ)
 この1700文字くらいを書くのに3時間半くらいかかりました。毎日1000文字以上続けている人はすごい。

*1:スマホのメモ帳にこのようなワードがいっぱい詰まっている