消費的バルーン思考

あきがくる

 前回の記事から一か月くらい間が空いてしまった。ちょっと飽きてきてしまったのかもしれない。まだ10記事も書いてないのにね。でも原因は飽きだけではない。いい感じのまとまった文章にしたいんだけどうまくまとめられていない下書きがいくつかある。書きたいことはそれなりにあるんだけどまとめるのにかなり苦労する。人とおしゃべりする機会があるとそれで気が晴れてしまうのでわざわざブログに書かなくてもいいかという気分になったりもする。SNSに書きづらいことを書くためのブログではあるが、ここにも書きづらいことはあるのでSNSとブログとおしゃべりで住み分けできているといえばできているのか。

 ともかく、こんな場末とはいえ自分はある程度読めるものにしたいとは思っており、そして、読めるものを書くというのは大変で面倒だなあということです。そもそもTwitterサブアカウントも気軽につぶやくためにつくったもののつもりだったのにどうしてもなんかちょっと凝ったことをつぶやこうとしてしまう。自分のおはようとかおやすみとかどうでもいいだろと思っているのでかまってもらうためにちょっと面白いこと言わなきゃなみたいな感じです。だからだんだんと面倒くさくなってくる。

 Twitterのかわりくらい気軽に記事を書けたらいいかなとは思っている。短めの記事が並ぶのは見栄えが悪い感じがして嫌なのだが、頭の中の考えをまとめるためには少しずつ出力していく必要があるなという感じがある。

 メモ帳に書きたいことの種みたいなのはいっぱいある。が、自分の中でのそれらどうしの関連性とか共通点を文章にまとめるのがめんどいんじゃ。なのであんまりまとめる感じじゃなくメモ帳の中身を多少整えつつ小出しにしていく感じにできるといいのかもしれない。

 

 

 飽きることについての話。自分はまあかなり飽きっぽいほうだと思う。一つのゲームを長期間にわたってやることはほとんどない。最も遊んだゲームでも300時間くらい。コツコツと何かを積み上げるということが苦手に思う。繰り返し遊ぶタイプのゲームは面白いと思っても、繰り返すこと自体に抵抗があるのか、急に冷めてしまうということが多い。めちゃめちゃはまっちゃうことはあってもずっとはまり続けてしまうと人生が深みにはまってしまうからね。飽きるというのは防衛機制なんですよ。

 大学の時に一度だけ参加したアニメの人材育成イベントで、あるアニメーターさんが「なにかに飽きたら別のことはじめて、それに飽きたらまた別のことして、またやりたくなったらもどってきてって、ぐるぐる回せばいいと思うよ」的なことを話していて、それがとても印象に残っている。いい考え方だなと思った。まあ飽きてない間の努力は必要だよねという話だが。

 あと、人間関係の話で、多分匿名掲示板のレスだったと思うんだけど、「友達とだんだん話が合わなくなってきたなと思っても、一時的に周波数が合わなくなっているだけで、また周波数が合う時期がまわってくるかもだから細くとも関係は切るな」的なことを言っている人がいて、それも好きな考え方だなと思った。なんというか、あんまりよくないものの中にたまに本当にいいなというものがあるので、わるいインターネットを見るのがやめられない。

 まあ、飽きたからといって頭から完全に消滅するわけではないし、飽きることを過度に恐れないようにしたい。

 

 あんまり要領を得ない感じになった。考えていることをそのまま打ち込んでいると、「まあ」をけっこうつかってしまう。自分は口でも頭でも「まあ」が多い。テキトーなので。