消費的バルーン思考

暖簾の向こう側

「「親愛なる第5コロニーの皆さん、管理者の○○です。近年の異常気象により、大気の生産はますますひっ迫しています。それに伴い、本日より当コロニーにおける1日の呼吸回数は6000回までに制限され――」」

 画面の中で仰々しい呼吸器をつけた管理者がなにやら繰り返している。酸素不足の脳がその言葉を理解するのには、少し時間を要した。

 呆然としている私にスクール帰りの息子が駆け寄ってきた。

「中央(セントラル)ではめいっぱいコキュウができるんだって、△△くんが言ってた!おれも行けるかなあ?」

 私は彼の、つややかな緑色の髪を湛えた頭を撫でながら、

「そうだね、たくさん勉強すれば、きっと行けるとも」ゆっくりとそう答えた。
↑こういうSFありそう

 

日記を書くぞ。書きます。毎日は書きません。毎日何かがあるわけではないので。

小学校の時に習った作文の文法に倣って段落の頭に空白を入れる*1ようにしているんですけど、他のネット上の文章見るとあんまりやってる人いないですね。たしかに左側に文字がぴったり詰められてる方が見ためがきれいでかっこいいとは自分も思います。

 

このように段落ごとに行間を空けていくようにすれば字下げが無くても見やすいですしね。でも自分は字下げする方が好きなので飽きるまでは今まで通りやっていこうと思います。

 そもそも字下げをするのって、紙媒体でいちいち段落ごとに行間あけてたら紙がもったいないからみたいな感じなんですかね?WEBならそういった制約がないので好きなだけ行間をあけて読みやすくできるみたいな。調べれば詳細が出てきそうだけどめんどいので調べません。

 

ここから日記

 普段いかないスーパーとかに行くとなんか異世界にいるような感覚になることがあります。客層の違いとか店全体の雰囲気の違いとかによって、現実だけど現実じゃないような感じがしてくる。みたいな微妙な居心地の悪さがある。いつも行ってるスーパーは大学の時に行ってたSEIYUと同じ系列なので、雰囲気がかなり似ていて落ち着くけど、イオンとか都市部とかにたまに行くと色んな層の人がいっぱいいて居心地が悪い。自分のいるべき場所ではない、という感じがする。

 基本的に人が少なくて薄暗い空間が好きなので、ブックオフとかは比較的落ち着く。でも逆にめっちゃ人が多くてぎゅうぎゅうになって流される、みたいなのもちょっと好きではある。圧迫されてる感覚と、ここまで人が多いと自分が意識を向けられることもないだろうなという感じが良い。圧死は嫌です。

 

 自分の活動範囲は、ほぼ『家』『駅近くのスーパー』『国道沿いの古本屋』に限られています。その中で、今日は古本屋に行ってきました。古本屋と言ってもブックオフとブックエコね。*2
 小学生の頃は漫画の単行本を集めるのに通ってましたが、最近は掘り出し物の画集/写真集*3とか古いゲームとか小説を集めるのに通っています。漫画は電子派。
 
 そんで今日はですね、はじめて暖簾の向こう側に行ってみました。暖簾というのは、あの、店の奥の方にある、子供がくぐってはいけない暖簾のことです。もう余裕で入れる年齢だったんですけど、まだ入ったことがなかったんですよね。別に何か欲しいものがあるわけではないけど、いっぺん向こう側が見てみたかったんです。その店はいつも人少なめで暗いのですが、今日は特に閑散としていました。これはチャンスと思い、Wiiのソフト片手に入ってみました。幸い暖簾の向こうにも人はおらず、そこにはうっすらと汗のにおいが空気によどんでおり、照明も一際うす暗く感じました。そしてまわり一面におとな向けの色々が所狭しと並んでおり、なるほど四方を物理的に囲まれるとそれらからの『圧』みたいなものもひとしおに感じられました。楽しい。しかし、こういうのって中学生とかの時に仲間たちとコソコソ入って武勇伝するのが一番楽しかったんだろうなと思いました。合掌。

 

本日の釣果

                        1700字くらい/3時間半くらい

*1:字下げというらしい。今知った。

*2:これらをまとめて『古本屋』と呼ぶのはなんか違う気がするけど、『リユースショップ』とかいうのもなんか聞き慣れんので、『古本屋』と呼びます。

*3:えっちなやつではない。建物とか風景のやつ。『写真集』という言葉も使い方に困る