消費的バルーン思考

ゲームが好き③

 以前の記事で「高校卒業後に2DSを買うまでゲーム機持ってなかった」って書いたんですけど、記憶違いでした。さっきAmazonの履歴を見たら、高3の8月31日に中古のニンテンドーDSLiteポケモンエメラルドをポチってました。受験期の夏休み最終日にいったい何考えてたんでしょうね。本当に覚えてない。受験期の記憶全くない。よっぽど現実逃避したかったんでしょうか。エメラルドの御三家はもちろんミズゴロウを選びました。「親に隠れて布団の中でゲームをやる」を高3になってはじめてやったわけですね。
 ちなみにDSは2500円、エメラルドは1500円でした。あの頃どんなに欲しくても手に入らなかったものが、こんなにあっさりと手に入ってしまったことに若干の虚しさを感じました。のちにWiiPS3を買った時も、同じ気持ちでした。

 ……思い出してきた。自分はスマホを持ち始めたのが高2の12月ごろ*1だったんですけど、ここから高3の8月中旬くらいまでにかけてアプリのゲームをかなり漁った形跡が残ってます。パズドラ、ツムツム、デレステ*2のソシャゲをはじめ、Monument ValleyとかDark Echo等の買い切りゲームや前回出てきた58WORKSさんのスマホ用脱出ゲーム等々をやっていたみたいですね。この流れからのさらにDS購入なので、当時の私の受験に対する態度がなんとなく伺い知れますね。ウケる。

 

 そんなこんなで無事に大学入学しました。一日中ゲームができて最高でした。数日*3シャワーも浴びずに、寝て、起きて、terrariaしたり、Hyper Light Driftterしたり、Portalでめっちゃ酔ったり、PCに飽きたら携帯機っしょ!したりしました。結構やばかったです。

 そんで、2018年の3月にSwitchを手に入れたわけですね。最新のゲーム機をついに手にしたよろこびと言ったらもう、もう、ですよ。しかし、インディーゲーばっかりやってきた私は「家庭用のメジャーなゲームって、面白くはあってもトガった所がないからナンバー1にはなりえない。インディーこそ至高。」みたいな思想*4を持っていました。そんな浅っさい考えはブレワイ*5に粉々に破壊されました。「家庭用ゲーム、滅茶苦茶面白い。」そんな当たり前のことを、そこで初めて確認できたのです。
 
 それから、スマブラSPの存在は自分の中で非常に大きいです。はじめて自分のゲーム機を使って、大勢で遊びました。私のゲーム機で、です。私がいないと、遊べないゲームを、みんなでしました。そのことがとても、うれしかったのです。自分が必要とされている感じがしました。自分はもう、邪魔者ではなくなったのです。*6

 まあ、そんな考えを抜きにしても、みんなで遊ぶのは楽しかったです。

謎の図

次で終わりにしたいです

 ここまでで『ゲームについての思い出』は大まかに書き出せたと思う。細かいエピソードについては思い出したときに個別に書けるといいね。

 先日、初対面の人と会話した際、あちらからゲームの話題を振ってくれ*7て、それまで置物状態だったのが急に話がしやすくなったので、「ああ自分って本当にゲームしか話題ねえんだな」と思いました。このように、自分はコミュニケーションの手段*8として、ゲームを利用してきました。それはある意味ゲームの正しい使い方なんですけど、自分はそのことを受け入れづらい。『好きであること』を自分の利益のために利用している、という感覚が、私の『好きであること』を濁らせている、感じがする。

                          1600文字くらい/6時間くらい

 

家にゲームがいっぱいあるということを示す人

*1:修学旅行の連絡用に

*2:課金も少々

*3:数日で不快さに負ける

*4:こーゆう考えが割と根を張っている

*5:あとダークソウルとか、その他いろいろ

*6:よくない考え方だとは思う

*7:私のスマホホーム画面がCupheadだったため。このホーム画面から話題が発生することが結構あり、助かる。

*8:目的と逆転してた時期もあるけど