消費的バルーン思考

最近読んだ漫画とか

 朝6時くらいまでなんかネガティブな感じの記事を書いてたんだけど夜が明けたらなんかどうでもよくなったのでやめた。自分のやっていることに急に冷める瞬間~。でもせっかくなので別の記事を書く。

 kindle本のセールやってたので漫画をまとめて買った。最近漫画はほぼ電子でしか買わなくなった。漫画を置くスペースないし、本屋で探すのめんどいし、古明地こいし。

 なので、買った漫画のちょっとした感想でも書く。あとゲーム。前に感想とかはあんまり書きませんって言ったけどあれは嘘です。私を木の下に埋めてください。

 これが好きとかって固有名詞出してアピールしてると万が一凶悪犯罪犯したときにそっちにも迷惑かかりそうとか思うが、凶悪犯罪は起こさないし迷惑系配信者にもならないので安心してほしい。でも人には無限の可能性があるらしいので油断はできない。

買った漫画

ちーちゃんはちょっと足りない

 空が灰色だからの1巻と潮が舞い子が舞いを2巻まで読んで面白かったので主に阿部共実作品を買った。

 鬱漫画というくくりはあまり好きじゃないんだけど鬱漫画でくくられるタイプの漫画が結構好きです。でもあまりに露悪的なのは無理。無理か無理じゃないかの境界はあいまいだけど、登場人物の思考が理解できる範囲かどうかだと思う。全く理解できないタイプのキャラクターが出てくると、無理ってなってしまう。登場人物は基本的にみんな善良であって欲しいのです。たとえみんなが善い人でもうまくいかないことがあるという。そんな感じが好きです。
 第五話くらいでいったん読むのをやめたくなったが、最後まで読んでよかった。他の作品を見てもそうなんだけど、絶妙な田舎を書くのがとても上手だなと思う。ナツには幸せになってほしいが、多分なれないだろうなと思った。
 今回買った漫画で一番よかったんだけど、うまく感想が書けない。

・死にたくなるくらいしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々
 題名が長い短編集。でもこういうウロボロスみたいな回りくどい文が好きです。『おねがいだから死んでくれ』が特によかった。好きで性格が悪い人もいるけど、好きで性格が悪くなってしまった人はいないと思う。あと『8304』も良かったです。『日々』も。

・ブラックギャラクシー6

大好きが虫はタダシくんの 

 とくになし。つまらなかったとかではなく、面白かったけどとくに言いたいことが思い浮かばない。

バーナード嬢曰く。
 施川ユウキ作品も複数買った。森のテグーだけ読んだことがあった。作者の自意識がそのまま作品に出ていて面白い。分身した作者同士で会話しているような感じ。

 本が好きな高校生たちの話。実在する本のタイトルや関連するエピソードがめっちゃ出てくる。自分はあまり本読まないので本の話の9割はわからないが、強大な自意識を持った登場人物たちの掛け合いが柱のコメディ漫画なので、わからなくても面白い。けど、ちゃんと登場した本も読みたくなる。結構連載は長く2011年からで、序盤は暴力ツッコミが多いが、時代の流れか段々と少なくなっていくのがちょっと寂しい。


・銀河の死なない子供たちへ
 上巻だけ読んで面白かったんだけど一年くらい放置していた。不老不死という存在がとても自然に描かれていて面白かった。卒制つくる前に読んでなくて良かった。これにめっちゃ影響受けてるじゃんという自意識が発生してしまってたと思う。

 終盤で主人公の一人がとる選択について、個人的には違う選択をしてほしかったけど物語上こうするしかないよなあという場面があった。彼女は『主人公』だからその選択をとった(とらせた)というそれだけのことではある。不老不死を肯定するかどうかを初対面の人に対するテンプレ質問にしようかな。そういう話です。

・鬱ごはん

サナギさん

 自意識~!

・溶解教室

 伊藤潤二の連作短編。安心して読めるホラー漫画。

・僕の心のヤバイやつ

 何となく読んでみようと思ったが、読み切ることができなかった。

以上

感想した感想

 感想は読んだ直後に言語化したほうがいい。数日経つともうなんもなくなる。私は私があんまり感想言うの得意じゃないと思っているのであんまり感想を言わない。どちらかというと批判的な意見の方がスラスラ出てくる。肯定的な意見というと、「あのシーン良かったよね」とか「絵が好き」とか断片的かつ浅めの言葉しか出てこない。面白いレビューを書く人が持っているような豊富な知識や、それを調べるほどの熱も無い。上手なレビューをすること自体にもなんだか恥ずかしさがある。的外れなことを言っていやしないだろうか?という不安がある。まあしかし感想も自分を構成するものなので外部に出していきたい。私を知ってくれ~。つまり自己アピールのための感想。私のエゴのために他人の作品を利用する行為。許せ~。
 あと、自分が読む漫画は数年前の「このマンガがすごい!」だった率が高い。「次に来るマンガ」みたいなのも数年たたないと読もうと思わない。流行ってるものは実際面白いことが多い。それはわかっている。流行っているものが嫌なんじゃなくて、流行っているということが嫌なんです。ゲームは結構流行ってるのもやれるんですけどね。何が違うんだろう。ゲームはSteamのアルゴリズムによるおすすめだったとしても、なんか「自分で見つけた感」があるからかなと思った。

 なんかもっと軽くこまめに書いていきたいなとwebkusoのブログを読んで思った。ラップも良かったです。「も」って言うとラップがサブみたいだけど。『それっぽいだけ』『謙虚な天才に死を』『ポエトリーリーディング入門』が特に良かった。どうも。

 

Asepriteというドット絵のソフトを買った。ちっちぇえ!

 

暖簾の向こう側

「「親愛なる第5コロニーの皆さん、管理者の○○です。近年の異常気象により、大気の生産はますますひっ迫しています。それに伴い、本日より当コロニーにおける1日の呼吸回数は6000回までに制限され――」」

 画面の中で仰々しい呼吸器をつけた管理者がなにやら繰り返している。酸素不足の脳がその言葉を理解するのには、少し時間を要した。

 呆然としている私にスクール帰りの息子が駆け寄ってきた。

「中央(セントラル)ではめいっぱいコキュウができるんだって、△△くんが言ってた!おれも行けるかなあ?」

 私は彼の、つややかな緑色の髪を湛えた頭を撫でながら、

「そうだね、たくさん勉強すれば、きっと行けるとも」ゆっくりとそう答えた。
↑こういうSFありそう

 

日記を書くぞ。書きます。毎日は書きません。毎日何かがあるわけではないので。

小学校の時に習った作文の文法に倣って段落の頭に空白を入れる*1ようにしているんですけど、他のネット上の文章見るとあんまりやってる人いないですね。たしかに左側に文字がぴったり詰められてる方が見ためがきれいでかっこいいとは自分も思います。

 

このように段落ごとに行間を空けていくようにすれば字下げが無くても見やすいですしね。でも自分は字下げする方が好きなので飽きるまでは今まで通りやっていこうと思います。

 そもそも字下げをするのって、紙媒体でいちいち段落ごとに行間あけてたら紙がもったいないからみたいな感じなんですかね?WEBならそういった制約がないので好きなだけ行間をあけて読みやすくできるみたいな。調べれば詳細が出てきそうだけどめんどいので調べません。

 

ここから日記

 普段いかないスーパーとかに行くとなんか異世界にいるような感覚になることがあります。客層の違いとか店全体の雰囲気の違いとかによって、現実だけど現実じゃないような感じがしてくる。みたいな微妙な居心地の悪さがある。いつも行ってるスーパーは大学の時に行ってたSEIYUと同じ系列なので、雰囲気がかなり似ていて落ち着くけど、イオンとか都市部とかにたまに行くと色んな層の人がいっぱいいて居心地が悪い。自分のいるべき場所ではない、という感じがする。

 基本的に人が少なくて薄暗い空間が好きなので、ブックオフとかは比較的落ち着く。でも逆にめっちゃ人が多くてぎゅうぎゅうになって流される、みたいなのもちょっと好きではある。圧迫されてる感覚と、ここまで人が多いと自分が意識を向けられることもないだろうなという感じが良い。圧死は嫌です。

 

 自分の活動範囲は、ほぼ『家』『駅近くのスーパー』『国道沿いの古本屋』に限られています。その中で、今日は古本屋に行ってきました。古本屋と言ってもブックオフとブックエコね。*2
 小学生の頃は漫画の単行本を集めるのに通ってましたが、最近は掘り出し物の画集/写真集*3とか古いゲームとか小説を集めるのに通っています。漫画は電子派。
 
 そんで今日はですね、はじめて暖簾の向こう側に行ってみました。暖簾というのは、あの、店の奥の方にある、子供がくぐってはいけない暖簾のことです。もう余裕で入れる年齢だったんですけど、まだ入ったことがなかったんですよね。別に何か欲しいものがあるわけではないけど、いっぺん向こう側が見てみたかったんです。その店はいつも人少なめで暗いのですが、今日は特に閑散としていました。これはチャンスと思い、Wiiのソフト片手に入ってみました。幸い暖簾の向こうにも人はおらず、そこにはうっすらと汗のにおいが空気によどんでおり、照明も一際うす暗く感じました。そしてまわり一面におとな向けの色々が所狭しと並んでおり、なるほど四方を物理的に囲まれるとそれらからの『圧』みたいなものもひとしおに感じられました。楽しい。しかし、こういうのって中学生とかの時に仲間たちとコソコソ入って武勇伝するのが一番楽しかったんだろうなと思いました。合掌。

 

本日の釣果

                        1700字くらい/3時間半くらい

*1:字下げというらしい。今知った。

*2:これらをまとめて『古本屋』と呼ぶのはなんか違う気がするけど、『リユースショップ』とかいうのもなんか聞き慣れんので、『古本屋』と呼びます。

*3:えっちなやつではない。建物とか風景のやつ。『写真集』という言葉も使い方に困る

ゲームが好き③

 以前の記事で「高校卒業後に2DSを買うまでゲーム機持ってなかった」って書いたんですけど、記憶違いでした。さっきAmazonの履歴を見たら、高3の8月31日に中古のニンテンドーDSLiteポケモンエメラルドをポチってました。受験期の夏休み最終日にいったい何考えてたんでしょうね。本当に覚えてない。受験期の記憶全くない。よっぽど現実逃避したかったんでしょうか。エメラルドの御三家はもちろんミズゴロウを選びました。「親に隠れて布団の中でゲームをやる」を高3になってはじめてやったわけですね。
 ちなみにDSは2500円、エメラルドは1500円でした。あの頃どんなに欲しくても手に入らなかったものが、こんなにあっさりと手に入ってしまったことに若干の虚しさを感じました。のちにWiiPS3を買った時も、同じ気持ちでした。

 ……思い出してきた。自分はスマホを持ち始めたのが高2の12月ごろ*1だったんですけど、ここから高3の8月中旬くらいまでにかけてアプリのゲームをかなり漁った形跡が残ってます。パズドラ、ツムツム、デレステ*2のソシャゲをはじめ、Monument ValleyとかDark Echo等の買い切りゲームや前回出てきた58WORKSさんのスマホ用脱出ゲーム等々をやっていたみたいですね。この流れからのさらにDS購入なので、当時の私の受験に対する態度がなんとなく伺い知れますね。ウケる。

 

 そんなこんなで無事に大学入学しました。一日中ゲームができて最高でした。数日*3シャワーも浴びずに、寝て、起きて、terrariaしたり、Hyper Light Driftterしたり、Portalでめっちゃ酔ったり、PCに飽きたら携帯機っしょ!したりしました。結構やばかったです。

 そんで、2018年の3月にSwitchを手に入れたわけですね。最新のゲーム機をついに手にしたよろこびと言ったらもう、もう、ですよ。しかし、インディーゲーばっかりやってきた私は「家庭用のメジャーなゲームって、面白くはあってもトガった所がないからナンバー1にはなりえない。インディーこそ至高。」みたいな思想*4を持っていました。そんな浅っさい考えはブレワイ*5に粉々に破壊されました。「家庭用ゲーム、滅茶苦茶面白い。」そんな当たり前のことを、そこで初めて確認できたのです。
 
 それから、スマブラSPの存在は自分の中で非常に大きいです。はじめて自分のゲーム機を使って、大勢で遊びました。私のゲーム機で、です。私がいないと、遊べないゲームを、みんなでしました。そのことがとても、うれしかったのです。自分が必要とされている感じがしました。自分はもう、邪魔者ではなくなったのです。*6

 まあ、そんな考えを抜きにしても、みんなで遊ぶのは楽しかったです。

謎の図

次で終わりにしたいです

 ここまでで『ゲームについての思い出』は大まかに書き出せたと思う。細かいエピソードについては思い出したときに個別に書けるといいね。

 先日、初対面の人と会話した際、あちらからゲームの話題を振ってくれ*7て、それまで置物状態だったのが急に話がしやすくなったので、「ああ自分って本当にゲームしか話題ねえんだな」と思いました。このように、自分はコミュニケーションの手段*8として、ゲームを利用してきました。それはある意味ゲームの正しい使い方なんですけど、自分はそのことを受け入れづらい。『好きであること』を自分の利益のために利用している、という感覚が、私の『好きであること』を濁らせている、感じがする。

                          1600文字くらい/6時間くらい

 

家にゲームがいっぱいあるということを示す人

*1:修学旅行の連絡用に

*2:課金も少々

*3:数日で不快さに負ける

*4:こーゆう考えが割と根を張っている

*5:あとダークソウルとか、その他いろいろ

*6:よくない考え方だとは思う

*7:私のスマホホーム画面がCupheadだったため。このホーム画面から話題が発生することが結構あり、助かる。

*8:目的と逆転してた時期もあるけど

ゲームが好き②

 前回のを書いたり人と話したりしているうちに結構スッキリしたのでだいぶ日が空いてしまった。冷静になってしまうとあんまり書くことが無いような気がしてきたけど、書きます。

 

<おぼろげな思い出>

 たしか誕生日でした。ショッピングセンターで、父親に欲しいものはなにかと聞かれました。私は「Wiiが欲しい」と言いました。父親はWiiがなんなのかわかっていなかったので、うまくやれば買ってもらえるのではと思ったのです。せこい。ドキドキしながらWiiの売り場まで連れて行ったら、普通に「これってゲームだよね?ダメ。」となりました。代わりに買ってもらったものが何だったかは覚えてないです。

 これ以降はもうゲーム機買ってとは言わなくなったと思います。

                               <思い出おわり>

ゲームが好き②

 中学校に入ってからは、ゲーム機に対する執着はなりを潜めていたと思います。PSPのモンハンが流行ってたはずですけど、さほど興味なかったと思います。友達と遊ぶ機会も減りましたし、深夜アニメ、ライトノベル、インターネットなどの代替物があったからですね。美術部で放課後の時間をつぶせたのも良かったと思います。特にネットの存在は良くも悪くも大きかったです。

 当時FLASHの脱出ゲームにはまっており、『脱出ゲーム王』というサイトでかなりの数をプレイしました。『58WORKS』さん、『MOFUYA』さん、『三丁目の萬屋』さんの作品が特にお気に入りで、繰り返しプレイしました。脱出ゲーム以外もいっぱい漁りました。『棒レンジャー』にドはまりして夏休みを溶かしました。『艦砲射撃!』も面白かったですね。また、権利的にアウトなので並べるのはちょっとあれですが『スーパーマリオ63』は非常に完成度が高くてワクワクしました。FLASH終了にともない、これらのうちの多くはもう遊べなくなってしまいましたね。悲しいです。色々思い出してきましたが、これを読んでいる人にはあまり伝わらない話だと思うので一旦やめます。伝わる人がいたら教えてください。語りあいたいです。

 YouTubeニコニコ動画でプレイ動画を観るのも好きでした。ゲームを体験するのに邪魔だったので、実況の入ってないプレイ動画を探していました。実況が入ってないのって結構少なかったので、探すのが大変だった覚えがあります。今思うとかなり無為な時間だったと思います。でも、プレイ動画のおかげでエアプでもゲームにくわしいふりができたのでよかったです。う~ん、ゲーム機買わないのにネットは規制なしという方針ってけっこう謎ですよね。家庭用ゲームよりネットの方がだいぶ有害だと思うのですが。

 高校に入ってしばらくのち、『東方Project』の存在を知りました。週末、遠くのアニメイトに通って原作のPCソフトを少しずつ集めました。お金を出してゲームを買うのはこれがはじめてでしたね。インディーズ的な存在にあこがれを抱きはじめたのもこの頃でした。『洞窟物語』や『ゆめにっき』『OFF』などのフリーゲームもこの時期にプレイしました。どれもその存在を知ったのはネットの情報からでした。そして、そこから『Steam』の存在を知るのにもあまり時間はかかりませんでした。

 初めて購入したのは、高2の12月、ネットでおすすめされていた中で安くてスペックも必要なさそうな『LIMBO』でした。これがけっこう難易度が高く、居間の共用PCだったので、横にいる兄と解法を考えながら夢中でプレイして真夜中にやっとクリアしました。大きな達成感とともによくわからないエンディングを観て、「こんなよくわからないゲームも存在するのか」と思いました。高3の7月には『UNDERTALE』をやりました。ゲーム経験の少なかった私にとってはその「見たことなさ」が衝撃でした。優れたメタ演出、細やかな分岐、膨大なテキスト、隠し要素等々、すばらしい体験でした。夜中、他の家族が寝た後の居間で、Pルートに到達したときのドキドキ感を覚えています。当時の私はこれがあらゆるゲームの中で最高のゲームなんじゃないかと思いました。誰かと感動を共有したかったので、美術部の後輩*1におすすめしましたが、Steamを知ってる人がいなかったのでスルーされました。Steamユーザーの人ってリアルだと全然見かけないの何なんでしょうね。私の交友関係が狭いだけですか。

まだ続くんですか

ここまで書くのに5時間くらいかかった。だるい。今回は怨念が薄めですね。思い出回です。通ってきた作品の羅列になってしまってあんまり話が進んでない感じがあるけどゆるして。こうやって書いていると、「自分、ゲーム好きじゃん」としみじみ思います。文章にすることで自分がなにかを好きであるということを認めていきたいのです。

 



*1:クラスに友人がいなかったんです

ゲームが好き①

ゲームが好き①

 自分はゲームが好きです。好きなはずなのですが、たまに自信がなくなります。

 高校を卒業した後、貯金で中古の2DSを買うまで、自分はゲーム機を持っていませんでした。ニンテンドーDSも、Wiiも、買ってもらえませんでした。お金がなかったわけでも、私の素行が悪かったわけでもありません。ただ父親が「絶対に買わない」と決めていたらしいので、それらが手に入ることが無かったのです。自分のおこづかいで買ってもいいかと聞きましたが、だめでした。しかし、私はゲームをしたかったのです。

 当時通っていた床屋にはFC/SFC/64などのレトロゲーム機があり、兄が散髪してもらっている数十分間のプレイをとても楽しみにしていました。お気に入りは『マリオ64』と『ヨッシーストーリー』でした。*1また、最近は見かけなくなりましたが、ヤマダ電機とかにはゲームの試遊台がありましたよね。数分間で終わる体験版を、何度も繰り返しプレイしました。
 小学三年生になって学童をやめてからは、放課後に友達と遊ぶことができるようになりました。友達たちが校庭の半分埋まったタイヤに座って『ワンピースギガントバトル!』や『イナズマイレブン*2をやっているのを後ろからのぞきこんでいました。のぞきこんでいると、たまにちょっとだけ遊ばせてくれたのでうれしかったです。ゲーム機を持っていないことで仲間外れにされたりはしなかったので*3、みんないい人たちだったと思います。
 友達の家にも遊びに行きました。ある友達は、もう使ってないGBAで『ポケモンエメラルド』を遊ばせてくれたので、家に行くたびに少しずつ進めました。思い出のゲームです。最初にキモリを選んだらとても苦戦しました。ある日、「キモリ弱いからセーブ消しちゃったごめん」といわれて、ミズゴロウで上書きされたセーブを渡されました。はじめは悲しかったですが、ミズゴロウの方が強かったので良かったです。DSはあんまり触れなかったのですが、Wiiは一緒にプレイすることができるし、グラフィックが綺麗なので好きでした。友達はゲームを大体遊びつくして飽きているので、よく「外でサッカーしよう」と誘ってきました。サッカーは苦手だったけど、ゲームをやるために仲良しでいたかったので我慢しました。

 思い返すと、いろんな友達の家に遊びに行きました。一時期は女子のグループにまざって遊んだりもしました。ゲームを遊べるなら誰の家でも良かったです。より長い時間ゲームを遊ばせてくれそうな友達を探していました。友達はそんな私の心中は知らないので気にしてなかったと思いますが、彼らの親御さんは迷惑していたかもなあと今になって思います。中学校に入ってからは友達と遊ぶことがほとんどなくなりました。

 当時の友達たちとは、今は誰とも親交がありません。どこで何をしているかも知りません。そしてみんなに対して少しずつ、もうしわけなさを感じています。

 ゲームを遊んでいるとき、たまにそんなことを考えてしまいます。

シリーズ化決定!

 まだまだ書きたいことはありますが、キリがいいので一旦切ります。

 これが最初の記事で言っていた「長年引きずっていること」でした。よくある話ですね。こんなんもうネット上で語りつくされて味がしないような話題だとは思います。でもこれは私のブログなので、語りつくされたことをいくら語っても良い。うれしい。

 負の思い出を掘り返しながら描くのは結構しんどいですね。しんどいので思いきって母親に当時のことを聞いたら、だいぶ気は晴れました。なんというか、それぞれにそれぞれの事情が色々あるよなあとは常々思っています。いずれ父親とも話したいけど、父親と話すの苦手。

 別に親を責めたいわけではないのです。*4ただ、過去にこういったことがあっていやな気分だったという事実を書きたかった。こういったことを誰にも言えぬままに死ぬのは、いやだなあという気持ちなのです。(別に死ぬ予定はまったくないです)

6/18追記
できるだけフラットに淡々と事実だけを述べるように心掛けたつもりなのですが、なんか心の中の『かわいそうと思われたい欲』みたいのがどうしても文ににじみ出ている感じがある。私の心の中のエボシ御前が「賢しらにわずかな不運を見せびらかすな」と連呼しています。

*1:どちらもちょっと雰囲気が怖い

*2:ダイパはすでに下火だった

*3:記憶がないだけかもしれないけど

*4:カテゴリーに『怨念』だのとつけてはいるが

うぇぶろぐはじめました/作文が苦手

ブログはじめますのきっかけ

・無職期間でぐでーとなっていた時期に色んなブログをベッドの中でずーっと読んでいて、ブログは短文のコンテンツに比べて個人の考えを高い純度で読めて良いなあと思い、自分もネットに長文を垂れ流したいと思ってたんです。

 

・以前から書きたいことはそこそこあったんですが、タイムラインを汚したくないなと思って、長文や空気を乱しそうな発言はひかえてました。自分はめちゃくちゃ嫌なことがあってつぶやいたろと思っても、ツイートボタンを押す前にだいたい冷静になってやめてしまいます。それはネットの使い方としては正しいと思うんだけど、精神的には正しくない感じもします。また、良いことがあってつぶやくのもなんか嫌なのです。他人の幸せや不幸せが同じ場所にダーッと流されてくるのを見るのは疲れます。その点ブログは見る、見ないを選べてよいなと思います。あと、ブログの長文を読むのはあまり気にならないんだけど、ツイッターで長文が流れてくるとうげっとなってしまう。

 

・さっきゼルダをやっているときに、個人的にとても引きずっていて定期的に思い出してはうわーとなるやつが来てしまいゲームに身が入らなくなってしまったので、一度そのことについてちゃんと書き起こして整理しておきたいと思ったのです。そのことについては別の記事に書きたい。この時点でもうすでに大分冷静になってしまっているので書かないかもしれない。でも、定期的に来るやつなのでブログが続けばいずれ書きます。

この場所について

・書きたくなったら書きます。日記とか思っていることを書きます。自分語りです。作品の感想みたいなのは多分あんまり書かない。週一くらいで書けたらいいけど多分むり。おそらく長続きもしない。とりあえず外部に長文を置く場所があるという安心感を得たかった。

 

・ちゃんとした文章を書くのが苦手なので箇条書きを使ったけど、使わないで書けるようにはなりたい。

 

・『消費的バルーン思考』というのは新書のタイトルではなく、2021年7月10日の夢に出てきたワードです。*1つまり何の意味もありません。このブログをあらわしていますね。

余談

 私は学生時代から作文がとても苦手です。「○○と思います」を「○○だなあと思いました」にして文字数を稼ごうとするくらい苦手です。

 高校の時、課題の自由作文の中から担任が事前に選んだ数人に、黒板の前で発表させクラス投票で選ばれた1人が文化祭の弁論大会に代表として出るみたいなシステムがありました。自分は夏休み明けに熱で休んでいた上に作文が嫌で嫌でしょうがなかったのでその提出日は大幅に過ぎており、発表の前日に夜更かししてようやく完成させました。それでも職員室に行って担任に直接提出するのが嫌だった私は、発表が終わった後にしれっと渡してしまおうと考えていました。

 発表の時間、担任がニヤニヤしながら私をトップバッターに指名したので、私は狼狽しました。この教師は己が目を通していない文章をクラス全員の前で発表させようというのか?過激な政治思想とか放送禁止用語まみれの作文だったらどうするつもりだったんだ?と思いますが、私は震える足どりで教壇に立ち、震える声で、自分が昨夜書いた作文を朗読し始めました。冒頭はこうでした。「私は作文が苦手です。まず、何を書いていいのかがわかりません。」多分人生で一番震えた時間でした。私がヤケクソ深夜テンションで書き上げたのは、『作文が苦手という作文』でした。キショすぎます。

 その日のホームルームでも、私は狼狽しました。投票で決められたクラス代表として担任が私の名前を告げたからです。クラスの人たちはいやがらせで投票したとしか思えません。その後、美術部の展示が忙しいことを理由に代表を辞退し事なきを得ましたが、心の震えはしばらく治まることはありませんでした。

                                    おわり

 

 

 なんだかんだ自分が好きなので、自分語りは楽しいです。こういった話をツイッターでしようとすると言葉が足りなかったり、連なる長文でうるさいことになったりしがちなので、やはりブログは良いなあ~~~~~~~~~~と思いました。(文字数稼ぎ)
 この1700文字くらいを書くのに3時間半くらいかかりました。毎日1000文字以上続けている人はすごい。

*1:スマホのメモ帳にこのようなワードがいっぱい詰まっている